新郎新婦へ贈る詩 吉野弘の『祝婚歌』
Posted on August 18, 2008
Filed Under 10:DVD上映で使いたいBGM, ■2心に残るスピーチ |
今日は,スピーチで吉野弘さんの『祝婚歌』をご紹介します。
雰囲気と歌詞が小田和正の『たしかなこと』とかぶります。聞きながら読んで下さい。
■アルバムタイトル:『たしかなこと』
■アーティスト名: 小田和正
■今回の推薦BGM:『たしかなこと』
■『小田和正』公式サイト
■『たしかなこと』の歌詞はこちら
※YouTube動画の調子が悪い場合は「パソコン環境は」を参照して下さい。
結婚式を挙げる新郎新婦へ贈る言葉として、
吉野弘さんの『祝婚歌』(しゅくこんか)を主賓の方が
取り上げて話されるケースを何度か見かけました。
内容は次の通りです。
▼▼▼_________________________________
『 祝 婚 歌 』(しゅくこんか)
吉野 弘
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは,長持ちしないことだと
気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そしてなぜ 胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい
________________________________▲▲▲
この詩は、私も知っていました。
結婚して、何年か経って・・・知ることになったのですが、
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい
このくだりが、すごく意外に思ったことを覚えています。
なぜ意外に思ったのか。
「これから結婚して所帯を持ち、幸せになるためには
立派な男にならないとダメだ」
「正しいことと、間違っていることをしっかり認識し、
間違えば修正しながら、常に正しい判断ができるようになることが
大人になるということだ」
・・・おそらく、新郎新婦もこれから始まる新しい人生に対して
こんな風に考えているのだと思うんですね。
私も同じように考えます。そこに・・・
「無理な緊張には色目を使わず、
ゆったりゆたかに光を浴びているほうがいい」
この力の抜き加減が(笑)・・・私にはどうしても理解できないでいましたし、
今も、この言葉の意味が心底理解できているとは思えません。
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話は少し変わりますが・・・
祖母から教えてもらった言葉に、「中庸」という言葉があります。
儒教「四書」の一つ。 『論語』『大学』『中庸』『孟子』・・・
あ~・・・眠たくなりますね(笑)。
全く意味など考えたことがありませんでしたが、
高校1年生の時、おばあちゃんから教わりました。
「足りないことも無く、余ることも無い状態・・・
奪い取るのではなく、遠慮して不自由な状態を容認することでもない・・・
厳しく突き放すばかりではなく、温かく守り過ぎることでもない・・・
その場その場で『ちょうど良いバランス』というものがある。
人生は決断の連続。
その一回一回の決断を、限りなく『ちょうど良いバランス』に近い判断を
維持できるかどうかで、幸せの密度は決まる」
その時は「ふ~ん」ってな感じで、
全くピンと来なかったですね。
「取れるだけ取ったらいいやん。実力の世の中やろ」
そんなふうにしか思いませんでした。
しかし,社会人になり、いろんな価値観を持った人ともみくちゃになりながら
仕事をしていくと、だんだん祖母の言った言葉の意味が理解できるように
なってきました。
国同士のやり取りから、取引先企業、上司、部下,そして家族・・・
自分の意見と相手の意見が一致しないことのほうが多い中で
『ちょうど良いバランス』を保っていく判断力。
年を重ねるにつれて、その難しさが身にしみて感じるようになって
来ました。
この、吉野弘さんの『祝婚歌』から感じる安心感、
肩の力の抜けた、涙がでそうになるくらいの安堵感・・・
これはどこから来るのでしょうか。
立派であること・・・
完璧であること・・・
正しくあること・・・
そうありたいと思うことは人間として当たり前の目標だと思うんですね。
そうなることを目指して生きていくのだと思うんです。
しかしこの考えの先には、必ず”壁”が立ちふさがります。
すぐには超えられそうにない高い壁が、必ず行く手を阻みます。
「上手く行かない」
「人が思うように動いてくれない」
でも,『祝婚歌』は、その時の”癒しの言葉”では無いと思うんです。
その壁を突破するための”ヒント”だと思うんです。
必死でもがき苦しまないと,壁は越えられないと思います。
どうしても・・・今の私は肩に力が入ってしまいます(笑)。
でも,壁を越えた瞬間というのは
「相手(人)が”超えた”と認めた時」に
超えたことになります。
基準は相手(人)です。
「相手のいない立派さ,完璧さ,正しさ」などあり得ないと思います。
相手(人)が自分といっしょにいたことで,自分と同じ時間を共有したことで
どうなったのか・・・
ほんの少しでも,わからないことがわかるようになったのか
ほんの少しでも,出来ないことができるようになったのか
ほんの少しでも,胸のつかえが取れたのか
ほんの少しでも,幸せな思いになれたのか・・・
自分と接する相手が1ミリでも前進することで,自分も前進する。
その前進が,壁を突破する力になると思うんです。
・・・間違っているでしょうか。
しかし・・・私は死ぬ間際まで、「俺は中庸を会得した」という境地にはなれないと
おもいます(笑)。
そんな簡単なものではない・・・・
「中庸」はなるべき姿ではありますが、同時に目指すべき目標だと思います。
一生かけての。
『祝婚歌』のあの”安堵感”の真の意味は,「中庸」を目指して必死にやってきた者
だけがわかる境地だと思うんです。
「肩の力を抜いて」は,今の私には「手を抜いて」になっちゃいます。
”健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに・・・”
何時になれば,この境地にいけるのか。
う~ん,前途多難^^;
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